18世紀アイルランド盲目の吟遊詩人オキャロランの曲をケルトの伝統的なスタイルである金属弦ケルティックハープで演奏した2ndハープソロCD。中世ケルトの伝統を受け継ぐバードが旅をしていた伝説の世界へ。古楽ファンにもお勧め。再発に当たり全曲デジタルリマスター。
Office Bunting レーベル OBCDB-6002
販売元 (有)ビートショップ
初回発売日 2006年9月21日
リマスター再発売日 2013年 6月12日
CD、ダウンロード配信は新しく開設したオフィシャルネットショッブ ケルティックハープマーケット にて取り扱っています。(ダウンロードは1曲単位から可能です)
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【YouTube】
クロスフェード メドレー
Lord Galway’s Lamentation (ゴ-ルウェイ卿のための哀歌)
01. Lord Galway’s Lamentation
02. Mervyn Pratt / One Bottle More
03. The Seas Are Deep / Kean O’Hara
04. Lusmore
05. Daniel Kelly
06. Lady Wrixon / All Alive
07. Donal O’Brien / Margaret Malone
08. Little Anita
09. Isabella Burke
10. Richard Cusack / Planxty O’Carolan
11. The Dark, Plaintive Youth
12. Separation Of Soul And Body / Peggy
13. Sunset Child
14. Henry MacDermott Roe (Bonus Track )
【各曲の解説】
1
●ゴ-ルウェイ卿のための哀歌 ~ Lord Galway’s Lamentation
John and William Neale が1726年にダブリンで出版した曲集に収録されている。またアイルランド音楽収集家 William Forde (1795~1850) の手書き冊子にもほぼ似た旋律があるがどちらも Carolan のものとはしていない。実は John and William Neale の楽譜が 出版される以前にゴ-ルウェイ卿と呼ばれた人物は2人しか確認されておらずどちらも時間的や立場的に Carolan が哀歌を捧げたと考えるのは難しいとされている。
2
●マ-ヴェン・プラット ~ Mervyn Pratt
1780年 John Lee がダブリンで出版したアイルランド曲集に収録された。タイトルはキャヴァン州の議員で州長官も努めた Mervyn Pratt を指していると思われる。
●あともう一杯 ~ One Bottle More
Francis O’Neill (1849~1936) が1903年シカゴで出版した曲集 “Music of Ireland” に Ca
rolan の曲として収録されている。またアイルランド音楽収集家 George Petrie(1789 ~1866) の手書き冊子や同じくアイルランド音楽収集家 Edward Bunting (1773~1843) が1809年出版した曲集にもほぼ似た旋律が載っているがこちらは両方共 Carolan の曲とはしていない。
3
●深き海 ~ The Seas Are Deep
William Forde の手書き冊子には Carolan のものと記されている。彼は1820年に MacDowell という人物からこの曲を得たらしくそこでは “James MurDoch,Craigarogan” というタイトルになっている。また George Petrie の手書き冊子にもそれと同じタイトルで僅かに異なるバ-ジョンが記載されている。
●キ-ン・オハラ ~ Kean O’Hara
George Petrie がクレア-州の音楽収集家であった Francis Keane から採集した。そこでは”Cahan O’Hara”として記録されているが、それを元に1902年出版された Petrie 曲集ではこの曲を Carolan 作とはしていない。しかし1831年に”Irish Minstrelsy” を出版した James Hardiman によって Carolan と Kean O’Hara にまつわる面白い逸話が残されているのでやはり何らかの形で Carolan と関わりのあった人物の可能性は高い。
4
●ラスモア ~ Lusmore
タイトルはアイルランド民話「ノックグラフトンの伝説」に出てくる主人公の名前。おとなしく無邪気で優しい性格だが背中に大きなこぶがありその見た目の醜さからまわりの人達からは気味悪がられている。その後彼は妖精達と友達になり背中のこぶとってもらうのだが、今度は同じく背中にこぶのある性格の悪い男が妖精達を怒らせてラスモアのこぶまでもつけられてしまうという日本の「こぶとり爺さん」そのままのスト-リ-が展開していく。
5
●ダニエル・ケリ- ~ Daniel Kelly
John and William Neale の1726年出版の曲集に初めて収録された。Taghboy の行政教区であった Turrock の Daniel Kelly の為に作られたと思われる。Carolan の地元ロスコモン州には Kelly という名の家が多く他にも同じ名前がタイトルになってるエア-は多い。
6
●リクソン婦人 ~ Lady Wrixon
George Petrie の手書き冊子より。Petrie は John and William Neale が1721年ダブリンで出版した Carolan 曲集からの引用だとしている。(現在そのペ-ジは紛失) タイトルの人物が誰を指すかは不明。
●活気あふれて ~ All Alive
George Petrie の手書き冊子より。そこで彼はこれを Carolan の作品であると述べている。曲の形態はアイルランドのダンス音楽であるジグのリズムだが一般的なジグよりも Carolan 風なメロディ-展開である。またタイトルの “All Alive” は元来の曲名であったかは疑わしくこの旋律はその後の楽譜にも様々なタイトル名で収録されている。
7
●ド-ナル・オブライエン ~ Donal O’Brien
George Petrie が1858年に Francis Keane から採集した。彼によれば Carolan の曲という確証は無いものの曲の構成に Carolan 的特徴が出ているという事だがまったく同感である。タイトルが誰を指すかは不明。
●マ-ガレット・マロ-ン ~ Margaret Malone
Edward Bunting が1796年に出版した曲集に”Madge Malone”というタイトルで収録されている。Bunting は1792年に開催されたベルファ-ストのハ-プ音楽祭でも演奏したハ-プ奏者 Rose Mooney からこの曲を得たらしい。題名はおそらくウェストミ-ス州 Kilcleagh 教区にいた John Malone の娘 Margaret だと思われる。彼女は一生結婚しなかったが Carolan の地元である Kilronan の人たちとは知り合いだったことが明らかになっている。
8
●リトル・アニ-タ ~ Little Anita
初めてアイルランドに行った時にとてもお世話になった家族がいて、その時仲良くなった金髪にいつもピンクのヘア-バントをしていた小さな女の子との思い出。
9
●イザベラ・バ-ク ~ Isabella Burke
Edward Bunting が1796年に出版した曲集に収録されたが彼自身はこの曲を Carolan のものとはしていない。しかしより信頼のある人達の証言として、メイヨ-州にある Castlebar 自治州代表者だった Thomas Bourk 一族の誰かの為に Carolan が作曲した可能性が高い。
10
●リチャ-ド・キュ-サック ~ Richard Cusack
Edward Bunting が1809年に出版した曲集に”Young Cusack”として収録された。この曲についている歌詩は Carolan 作の可能性があるためその詩とリズムが合致している曲も本人のものかも知れない。Carolan の伝記の著者 Donal O’Sullivan (1893~1973)は曲詩共に Carolan 的であるとしている。タイトル名はロスコモン州の Rockfield にいた Cusack 家の一員だと思われる。
●プランクスティ-・オキャロラン ~ Planxty O’Carolan
Francis O’Neill の曲集 “Music of Ireland” に同タイトルで収録されている。ただしこの楽譜で Carolan の作とされているその多くは今日では違うように思われる。この”Planxty O’Carolan”に関してもはっきりとはしていないが曲はとても Carolan 的。
11
●暗くもの悲しげな若者 ~ The Dark, Plaintive Youth
アイルランド音楽収集家 John Edward Pigot (1822~1871) の手書き冊子にはこの Carolan の曲は19世紀のイ-リアン・パイプ奏者であり音楽収集家であった Patrick Carey の原稿から得たものだと記されてある。しかし歌詞の内容がジャコバイトソングである為今日では Carolan のものではないとする意見も多い。
*ジャコバイトソング・・・18世紀スコットランドで旧王家を支持する人達をジャコバイトと呼び彼らとイングランドとの戦いにまつわる内容を歌ったもの
12
●魂と体の別離 ~ Separation of Soul and Body
John and William Neale の1726年の曲集に初めて収録されその後 George Petrie の手書き冊子には ~Separation of Soul and Body, Carolan 氏より寄贈~ と記されてある。タイトルの真意ははっきりしないがその曲調からエレジ-(哀歌)的なテ-マを持つ曲ではないだろうか。
●ペギ-・モ-トン ~ Peggy Morton
初出は Edward Bunting (1773~1843)の手書き冊子より。タイトル名の人物はロスコモン州に土地を所有していた Mrs.Morton の一族に属していたのではないかと思われる。
13
●サンセット・チャイルド ~ Sunset Child
アイルランドのイニシュモア島にはとても美しい砂浜があってそこでの夕日の情景を夢想しつつ・・・
(Bonus Track )
14
●ヘンリー マクダーモット ロー ~ Henry MacDermott Roe
解説にある Alderford の MacDermott Roe ファミリーは生涯に渡り Carolan の主要なパトロンであり友人だった。タイトルの人物は MacDermott 家の長、又は長男の事を指していると思われる。より可能性の高い後者の人物は 1752年6月21日に亡くなった事が確認されている。尚 同タイトルの曲は現在3種類伝えられている。
【CD解説本文】
アイルランドには18世紀末までハ-プを持って国中を旅し貴族達の為に曲を作り歌を捧げていた吟遊詩人の伝統があったが、その中で現在最も名高い存在なのが Turlough O’Carolan (1670~1738)である。18才の時天然痘で視力を失った彼は父親が働いていた工場の経営者である MacDermott Roe 夫人の援助によりハ-プを学び、3年の修業ののち馬と付き人を宛がわれて旅に出る。そしてそれまでのアイルランドの吟遊詩人の伝統にのっとり、各地の貴族や地主の為に歌を作りハ-プを演奏してその生涯のほとんどを旅で過ごした。その晩年妻に先立たれ自分ももう長くないと悟った彼は、病いをおして最初にハ-プを与えてもらい旅出たせてくれた Ballyfarnon の MacDermott Roe 夫人を訪ね沢山の感謝の言葉を残しつつ彼女の家でその一生を終えた。
盲目で旅から旅への人生と聞くと何か悲惨な印象を受けるかも知れないが生前の Carolan にまつわるエピソ-ドには楽しいものが多く、彼のパ-ソナリティ-みたいな部分が伝わってくる様で興味は尽きない。実際に彼はとても愉快な酒好きだった様で、ある時などは訪ねた先での振舞われる酒が少なかった事に腹を立てそこの女主人を皮肉った歌を作ったり、またその反面4曲もの初恋の女性に捧げた曲が残されていたりという何とも魅力的で人間らしい人物像が浮かび上がってくる。ただ中には妖精が出てくる様なエピソ-ドもあるので、後になって作られたであろう盲目の吟遊詩人にまつわるお伽話的側面も含まれてはいるのだが。
まずここで最初に忘れてはならない事は Carolan の音楽はあくまでもアイルランドの伝統音楽として語られるべきジャンルであるという事だ。Carolan 自身は当時流行していたイタリアのバロック音楽(彼にとっては同時代の最先端をゆく現代音楽だった)に心酔しそれを自分の音楽に取り入れようとしたが、結局彼によって生み出された曲の数々は本人の意志に関わらずアイルランド吟遊詩人の音楽を象徴するものとして後世に伝えられていったのである。
現在 Carolan の作品とされているものは200曲以上になるがここではオリジナル曲以外はすべてそれらの中から演奏している。各曲に関しては別項を参照していただきたいが、読んでもらえば分かる様にかなりの曲の出所は実に頼りない。その多くは Carolan の死後かなりたった時代に演奏されていたのを音楽収集家達が書き留めた楽譜が拠り所となっている。しかもそれらは長い間口伝で伝えられていた為変化もしているだろうし、まったく別の人物の曲が Carolan の作品として伝わった可能性も有りうる。
本来アイルランドの伝統音楽家は曲を譜面にして残すという事が無い為、現在までそのほとんどがメロディ-のみの形で伝えられている Carolan の曲も、実際に本人がどの様に演奏していたのかはまったく分かっていない。恐らくは当時のアイルランドのハ-プ奏者達と同様にかなり自由で即興的だったのではないかと思われ、同じ曲を演っても必ずしもそれが同じ演奏とは限らなかったかも知れない。例えば21才の時に作ったとされる有名な Sheebeg Sheemore を50才の Carolan が若い時とまったく同じスタイルで演奏したとは考えづらいのである。
どちらにしても当時の彼らの演奏すべてを正確に譜面に書き留めるのは不可能だったろうしあまり意味の無い事だろう。Carolan 自身どんな風に演奏したり歌ったりしていたのかは結局の所どこまでいっても空想の域を出る事はない。現代に生きる我々はハ-プを抱えた吟遊詩人達の調べに浮かれ踊っていた昔の人々に想いを馳せつつ、自分なりの Carolan 像を夢想し続けていくしかないのかも知れない。そして深い霧がかかり向こう側にある答えが永久に見えてこない様な彼らの音楽に、これからも自らのイマジネ-ションを掻き立てられ続けていくのではないだろうか。
ケルティックハープ奏者 坂上真清